火星の人類学者ーー脳神経科医と7人の奇妙な患者
書籍情報
- 著 者:
- オリヴァー・サックス
- 訳 者:
- 吉田利子
- 出版社:
- 早川書房
- 出版年:
- 2001年4月
脳の適応力のすごさ、潜在力、不可思議さを浮き彫りにする七つの物語
事故や病気や発達障害などによって、さまざまな困難や身体的変化に直面した有機体(人間)が、その状況に適応し、自らを再構成していくことをテーマにした七つの物語。
一つめは、色覚を喪失した65歳の画家の物語。「太陽はまるで爆弾のように昇ってきました。巨大な核爆発のようでした」
事故によって色覚を喪失した画家の世界は、灰色、鉛、という言葉でもうまく言い表わせないほどの異様な世界だった。事故から5週間ほどした朝、日の出を見た画家は、のちにこう語った。「太陽はまるで爆弾のように昇ってきました。巨大な核爆発のようでした」。画家は、「核の日の出」と題する白と黒の絵を描いた。
著者サックスは、画家の見ている世界と彼の深い苦悩を巧みに描き出し、画家への検査、「大脳と色覚の関係についての研究」の歩み、色覚にまつわる知見を織り込みながら、画家の症状について述べ、そして画家の心の変化を綴っていく。
二つめは、新しい記憶を取りこめなくなった「最後のヒッピー」の物語。「彼は一九六〇年代に捕らえられて、身動きがとれない」
ヒッピーが全国的な現象にまでなった1960年代後半、グレッグ・Fは10代で、グレイトフル・デッドの大ファンだった。彼は、学校を中退し、家出し、「LSDでハイに」なり、「宗教的な恍惚感にひたるように」なり、教団寺院で過ごすようになる。
やがて両親は、変わり果てた彼の姿を目にする。彼を変貌させたのは脳の腫瘍だった。それは手術でほぼ完全にとりのぞかれたが、「すでに起こってしまった障害についてはなす術がなかった。」
サックスが会ったとき、グレッグは25歳だった。彼は盲目だったが、そのことを知らないらしかった。そして、新しい記憶を取りこめなくなっていた。さらに、別名「ふざけ症」といわれる眼窩皮質症候群の症状をきたしていた。だが、グレイトフル・デッドについて話したときのグレッグは、違っていた。大好きな曲を「情感を込めて」歌い、その彼は「欠落などない完全な人間だった」。
この物語では、グレッグの症状を綴りながら、その記憶障害と前頭葉の損傷による人格の変化を浮き彫りにしている。
三つめは、「トゥレット症候群の外科医」の物語。「ぼくは、世界でただひとりのトゥレット症候群の空飛ぶ外科医なんです」
50がらみで重々しく穏やかな物腰のベネット博士は、急に飛びあがったり、身体をひねったりする。左右対称にこだわり、口髭やメガネにしつこく触る。運転中にハンドルから手を離し、フロントガラスを叩く。突然に別人のような甲高い声で奇妙な言葉を叫ぶ。また、パニックや怒りの発作という内面の問題と闘っている。
しかし、ベネット博士は外科医として仲間や患者からの信頼、愛情、敬意を得ている。不思議なことに、手術中には上述したような衝動的な行動は起こらない。「ふつう手術中は、自分がトゥレットだなんて意識すらしないんです」と言う。
家族もありのままの彼を愛し受け入れている。ベネット博士は小型機のパイロットでもあり、その仲間からは「とても優秀なパイロット」で「いいやつ」と評価されている。
この物語では、トゥレット症候群がどのようなものか、またトゥレット症候群と自己が絡みあって渾然一体になっている姿を描き出している。
四つめは、50歳になってから視力を取り戻し、見ることを学ぶ男の葛藤の物語
ヴァージルは幼い頃に視力を失い、50歳になってから手術を受けて視力を取り戻した。しかし見ることを学ぶ必要があり、それは容易なことではなかった。
著者サックスは、見ることについてこう記している。「毎朝、目覚めて見るのは、生まれて以来、学びつづけてきた世界だ。その世界は与えられるのではない。間断のない経験と区分けと記憶と関連づけを通じて、自分でつくりあげてきた世界だ。」
この物語では、見ることを学ぶヴァージルの姿や他の同様の事例を綴り、「アイデンティティの急激な変化」によって生じる苦悩や葛藤を描いている。
五つめは、故郷を「追想」によって描き出す「記憶の画家」の物語
「記憶の画家」フランコ・マニャーニは、1934年にイタリアの小さな村ポンティトで生まれた。31歳の時、その故郷と決別してアメリカに腰を落ち着けるという苦渋の決断をするが、それと同時に、奇妙な病気にかかった。重態に陥ったとき、「来る夜も来る夜も異常に鮮明な夢を見つづけた」「彼は、毎晩ポンティトの夢を見た」。これを契機に、ポンティトの絵を描き始める。
フランコは「取り憑かれたようにポンティトのことを考えはじめ」、「昼間もポンティトの「幻」を見るように」なり、それを描いた。
このような「幻」を見るとき、脳では何が起こっているのか。著者サックスは、側頭葉癲癇や、その発作のときに起こる「意識の二重性」について、その研究に取り組んだ神経学者たちの見解を示しながら、考察している。また、記憶についても論じている。
六つめは、非凡な視覚的記憶力と絵画能力をもつ自閉症の少年の物語
1987年6月、著者サックスのもとにイギリスの出版社から大量のデッサンが届いた。その作者は、13歳の自閉症の少年スティーヴン・ウィルトシャー。その絵は、サックスの患者だったホセの絵とよく似ており、「「自閉症」的知覚および芸術という独特のカテゴリーでもあるのかと思うほどだった。」
この物語では、スティーヴンの姿を、彼の才能を育むために熱心に支援した人々との交流や、旅行に同行したサックス自身のエピソードを通して描きだし、自閉症とその芸術を考察している。
七つめ(最後)は、自閉症の博士の物語。「そういうとき、わたしは自分が火星の人類学者のような気がします」
著者サックスが会いに行ったとき、テンプル・グランディンは40代半ばだった。彼女は「自閉症にもかかわらず、動物学で博士号を取り、コロラド州立大学で教え」、「自分で会社を設立し、また家畜用施設専門のコンサルタント兼設計士として世界を舞台に仕事をしている」。
家畜に深い思いを抱き、家畜と一緒にいるときはとてもくつろいでいる。「雌牛がなにを感じているか、わかる」という。しかし人間が相手だとちがう。「複雑な感情やだましあいとなるとお手上げ」で、「そういうとき、わたしは自分が火星の人類学者のような気がします」と言った。
小さいころ抱きしめてもらいたかったが、人との接触が怖かった彼女は、「魔法の機械を夢見るようになった」。今ベッドの横には彼女が作った「締め上げ機」(「抱っこ機」と呼ぶ人もいる)があり、「彼女は世界でも有数の家畜締め上げシュートの設計者」になっている。
また、すばらしい夕日も「きれい」なだけで、「心に『触れ』ない」という。夜空の星を見上げても、頭では宇宙の偉大さを理解し、宇宙の始まりや「わたしたちはなぜここにいるのだろう」といったことを考えるが、「『荘厳』な気持ち」にはならない。
著者サックスは、自閉症について論じ、テンプル・グランディンの人物像を丹念に描いている。
感想・ひとこと
脳神経科医オリヴァー・サックスの傑作。神経科学的な記述は少なめで、人物描写に力が注がれている。その人物描写を通して、脳の適応力のすごさ、潜在力、不可思議さが浮き彫りにされている。
この本のNDC分類は「936」(英米文学/記録、手記、ルポルタージュ)。当サイトでは、「脳/医学」に入れた。なお、2023年にリライトして、短くした。