レナードの朝
書籍情報
特異な症状を来たした脳炎後遺症患者の症例を「伝記的」アプローチで描き出し、人間の本質に迫る
原題『AWAKENINGS』は1973年に英国で初版が出版された。その後何度か改編されており、本書は1990年版の邦訳。
著者オリヴァー・サックスは、原題の『目覚め』についてつぎのように記している。
「一度は治療も不可能なほど絶望的にみえた患者が、あるとき突然見事に再生する。活力と人間性とを備えたまま何十年も凍りつき、消えていた状態、ほとんど死体といってもいい状態から、彼らは立ち上がったのである。」
本書は、当時「奇蹟の薬」と呼ばれたL – DOPAの投与による脳炎後遺症患者それぞれの「目覚め」と、その後の試練・順応を「伝記的」アプローチで描き出し、このような患者たちに対する医学のあるべき姿を見つめ、人間の本質に迫っていく。
嗜眠性脳炎とその経過について、L – DOPAの開発にまつわる話題も記される
1916年から17年にかけて嗜眠性脳炎(眠り病)の大流行が始まり、1927年に謎の終息を遂げた。感染した人の3分の1は急性期に昏睡状態のまま、あるいは鎮静することのない不眠状態のまま亡くなった。「嗜眠性脳炎(眠り病)から完全に回復し、それまでの生活に戻ることができた患者も少なくなかったが、その大多数は後年になって神経あるいは精神に障害が現われた」という。「その中でも数多くみられたのがパーキンソン症候群」だった。
1966年、著者サックスは慢性疾病患者用の病院に勤務することになった。そこには、80人の脳炎後遺症患者が入院していた。患者の半分近くは「話をすることも動くこともほとんどなく、完全介護を必要としていた」。
翌1967年にジョージ・コチアスと同僚たちが発表した論文では、「多量のL – DOPAを経口投与することで、パーキンソン症候群の治療に成功したことが報告」されたという。当時、その研究成果は「人々を驚愕させた」。
著者サックスは2年間、L – DOPAの投与に躊躇し続け、ついに1969年3月に投与を決意する。
ライプニッツの見解などを織り込みながら、医学のあるべき姿を見つめる
病を理解するために機械的な医学のみでは充分ではない、という主張を展開している。脳炎後遺症患者の研究と治療から著者サックスが見出した医学のあるべき姿を、「未来の医学」という表現も用いて語っている。
感想・ひとこと
ドーパミンなど様々な物質の想像を絶するバランスによって健康が保たれていることに驚くと同時に、それが崩れることの怖さも感じさせる。「健康はいかなる病気よりも深遠なもの」という著者サックスの言葉が心に残る。
脳炎後遺症患者20人の症例を綴った部分が本書の中心だが、このような健康が損なわれた患者に対して医学がどのようにあるべきか、哲学的な要素を交えながら人間の本質に迫っていく情熱的な語りのところに私は引き込まれた。
あるとき著者サックスは、A・R・ルリア(「長年携わってきた神経心理学的観察から、驚異的でほとんど小説のような」症例集を出版)に、「世の中で最も興味深いことは何か」と尋ねたことがあるそうだ。ルリアは、「……それは『物語的な科学』です。……」と答えた。著者サックスの答えもまったく同じだという。
本書のNDC分類は936「英米文学(記録、手記、ルポルタージュ)」、単行本(晶文社・1993年)は493「医学・薬学(内科学)」。本書が置かれるべき場所は、この二つが結びついたところのようだ。