火星の人類学者 ——脳神経科医と7人の奇妙な患者

書籍情報

【ハヤカワ文庫NF】
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著 者:
オリヴァー・サックス
訳 者:
吉田利子
出版社:
早川書房
出版年:
2001年4月
定 価:
本体940円+税

「これからお話しするのは、思いがけない躓きを経験した生命体、そして人間の精神についての七つの物語である」(本書「はじめに」より)

著者オリヴァー・サックスの上記の言葉は、つぎのように続いている。

「本書に登場するひとたちは、トゥレット症候群、自閉症、健忘症、全色覚異常など、さまざまな神経学的異常の持ち主である。伝統的医学の見地では彼らは典型的な「症例」だ。しかし、同時にじつに個性的な存在でもある。ひとりひとりが独特の世界に住んで(ある意味ではそれぞれの世界を創りだして)いる。」

こう続く。

「これは、変化した、それも極端に変化した状況のもとで生き延びたひとたちの物語である。彼らが生き延びられたのは、人間がもつすばらしい(だが、ときには危険な)再構築と適応の能力のおかげである。……略……。そこにあるのは、脳と「現実」の極端な変化に対する自我の適応であり、さらには自我の変容なのである」

では、七つの物語を紹介していきたい。

「太陽はまるで爆弾のように昇ってきた。巨大な核爆発のようだった」。一つめは、事故にあい全色覚異常になった65歳の画家の物語

事故のあと、画家の世界は一変していた。「色鮮やかな絵がかかっているアトリエはどこも灰色で、まったく色がなかった」。「ひとびとの肉体、妻の肉体は忌まわしい灰色で」、「死んだような灰色の食べ物はおぞましく」、その世界は「鉛でつくられた」ように不気味だった。灰色、鉛、そのような言葉ではうまく言い表わせないほどの異様な世界だった。

苛立ち、絶望した画家だが、次第に「白と黒の世界でできるだけ生きてみよう」と思う。事故から5週間ほどした朝、画家は、日の出を見る。「太陽はまるで爆弾のように昇ってきた。巨大な核爆発のようだった」。画家は、「核の日の出」と題する白と黒の絵を描いた。

著者オリヴァー・サックスは、画家の見ている世界と彼の深い苦悩を小説家のように巧みに描き出し、その後で、画家の障害をつきとめるために行なった検査について述べ、「大脳と色覚の関係についての研究」の歩み(ニュートン、トーマス・ヤング、ヴィルブラント、ヴェレ、ゲーテ、ヘルムホルツ、マクスウェル、ランド、ゼキ)を概説し、色覚にまつわる知見を紹介し、画家の障害の原因について述べていく。そして、画家の心の変化を綴る。

二つめは、新しい記憶を取りこめなくなった「最後のヒッピー」の物語。「彼は一九六〇年代に捕らえられて、身動きがとれない。彼は化石、最後のヒッピーなのだった」

ヒッピーが全国的な現象にまでなった1960年代後半、グレッグ・Fは、10代だった。「彼は、ヴィレッジに行き、徹夜でアレン・ギンズバーグの自作の詩の朗読を聞いた。ロック音楽、とりわけアシッド・ロックが好きで、なかでもグレイトフル・デッドの大ファンだった」

グレッグは、「髪を長く伸ばし、優等生として過ごしてきた学校を中退」し、家出し、「LSDでハイに」なり、LSDをやめて「宗教的な恍惚感にひたるように」なり、教団寺院で過ごすようになる。やがて彼の両親は、変わり果てた彼の姿を目にする。

彼を変貌させたのは、脳腫瘍だった。「手術で腫瘍はほぼ完全にとりのぞくことができたものの、すでに起こってしまった障害についてはなす術がなかった」

グレッグは盲目になっていた。だが、そのことを知らないらしかった。

「短期記憶を長期記憶に刻むことができなくなったグレッグは、新しい記憶を取りこめなくなった一九六〇年代に釘付けになっていた」

また、グレッグは、「ほうっておかれれば病棟で何時間でもじっとしていた」。無気力状態。それは、うつろな感じだった。だが、話しかけられたり、音楽が聞こえたりすると、彼は「目覚め」て奇妙な活気を見せた。「無節操で気まぐれな、前頭葉の眼窩皮質(眼に隣接している皮質部分)の損傷患者によく見られるので眼窩皮質症候群と呼ばれる症状」だ。別名は、「ふざけ症」。節度、思慮深さ、抑制が破壊されているため、軽薄な反応をするという。

だが、グレイトフル・デッドについて話したときのグレッグは、ちがっていた。彼は生き生きと話しだし、大好きな曲を「情感を込めて始めから終わりまで歌ってみせた」。そのときの彼はひとが変わったようで、「欠落などない完全な人間だった」

1988年、彼は片足を骨折したが、痛みを訴えなかった。痛みが和らぐと忘れてしまったらしい。著者オリヴァー・サックスは、こう記す。「彼には喪失という概念は、自分の機能についても、もの[傍点:もの]についても、またひとについても理解できないようだった」と。

1990年6月、グレッグの父親が急死した。彼に父親の死を悼む能力はあったのか。「死を悼むには、喪失感がなければならず、グレッグにそれがあるかどうか、はっきりしなかった」。グレッグは、父親の死を覚えていなかった。父親の死について著者サックスが話したとき、彼はショックを受けたようだったが、その数分後には覚えていなかった。

この年の末、グレッグは、「夜中に起きあがっては何時間も部屋のなかを探りまわるようになった」。「なにかなくしたんだ。なにかを探しているんだ」と彼は言った。だが、「なにをなくしたのか、なにを探しているのかは説明しなかった」。著者サックスは、「彼が潜在的には、それに(概念的ではなくとも)象徴的には、父の死を知っているのではないかと思った」

父の死以来、グレッグは沈んでいた。気晴らしをさせてやりたいと考えていた著者サックスは、グレッグの大好きなグレイトフル・デッドがコンサートを開くことを聞き、「これだと思った」。そして、グレッグをそのコンサートに連れていく。ここが、この物語のクライマックスだ。

三つめは、「トゥレット症候群の外科医」の物語。「おもしろいですよ、きっと。こんな体験はめったにできるものじゃない。ぼくは、世界でただひとりのトゥレット症候群の空飛ぶ外科医なんです」

著者オリヴァー・サックスが、トゥレット症候群の外科医カール・ベネット博士と出会ったのは、トゥレット症候群に関する科学会議の席だった。そのときのことを、つぎのように記している。

「五十がらみで、中肉中背、茶色っぽい顎髭と口髭に白いものが混じり、きまじめなダークスーツを着た、ごくありふれた人物に見えた。だが、それも彼が急に足を蹴りあげたり、地面に手をついたり、飛びあがったり、身体をひねったりするまでのことだった。わたしは彼の奇妙なチックと、重々しく穏やかな物腰の両方に同じくらいびっくりした」

この出会いから、著者サックスは、ベネット博士の暮らしや仕事ぶりを見にブランフォードという町へ行くことになる。

「ブランフォードは、ロッキー山脈の麓、ブリティッシュ・コロンビアの南東部に位置し、北にはバンフー国立公園の山々、南にはモンタナ州とアイダホ州があるという牧歌的な町だった」

ベネット博士の歓迎ぶりは奇妙だった。「跳ねたり飛んだりのチックと、あいさつの身振りが混じりあうトゥレット症候群特有の動作」だった。著者サックスは、ベネット博士の振る舞いを描き出し、それを通して、トゥレット症候群の症状を浮き彫りにしていく。

病院の休憩室で、「床になかば寝そべったベネット博士は、片足で宙を蹴りながら、珍しい神経線維腫症の患者について話した」。「同僚たちは、熱心に耳を傾けていた」。すっかりなれているらしい。

また、レントゲン技師は、こう言った。「ベネット博士は診たてがうまいだけじゃない」。「博士ほど、患者にやさしい外科医には会ったことがありませんよ」

ベネット博士の縫合を見ていた患者は、「先生は家でもお裁縫をなさるんですか」と冗談を言い、それから、「縫い目がとてもよく揃っているわ」と言った。

著者サックスは、このようなエピソードをいくつも積み重ねていく。

「手術の準備をするベネット博士は見物だった」。トゥレット症候群の奇妙な症状が現われるのだった。だが、「手術の最初から最後まで、トゥレット症候群の症状はまったく現われなかった」

「ふつう手術中は、自分がトゥレットだなんて、意識すらしないんです」とベネット博士。助手のひとりは、「トゥレット症候群が消え失せるさまは、まるで奇跡ですよ」と言った。「神経生理学的に見てどう思うか」とベネット博士はたずねた。著者サックスは、考察していく。

他にも、ベネット博士と家族とのエピソードなど、たくさんのエピソードが登場する。

ドライブでは、トゥレット症候群の症状が現われた。それは、「刺激的で恐ろしい経験」だったという。

著者サックスがニューヨークに帰るとき、飛行機で送るとベネット博士が言った。「トゥレット症候群のパイロットの飛行機に乗ったことがありますか」

「おもしろいですよ、きっと。こんな体験はめったにできるものじゃない。ぼくは、世界でただひとりのトゥレット症候群の空飛ぶ外科医なんです」

四つめは、50歳になってから視力を取り戻し、見ることを学ぶ男の葛藤の物語。「毎朝、目覚めて見るのは、生まれて以来、学びつづけてきた世界だ。その世界は与えられるのではない。間断のない経験と区分けと記憶と関連づけを通じて、自分でつくりあげてきた世界だ」

ヴァージルは、幼い頃に盲目になった。彼は、盲学校を卒業したあと、「マッサージ療法士の訓練を受け、YMCAに職を見つけた。仕事はよくできたらしく、評価も高かった」

著者オリヴァー・サックスは、ヴァージルの過ごした日々を描いていく。

「ヴァージルは地味ではあるが彼なりの人生を築いていた。安定した仕事があって、職業人として認められ、働いて暮らし、友達もいて、点字の新聞や本を読んだ」

50歳のヴァージルは、エミーと婚約した。そして彼は、視力を取り戻すための手術を受ける。

包帯を外されたヴァージルが見たのは、「ぼんやりした塊」だったという。「そのぼんやりした塊のひとつが動いて、声がした」。「どんなぐあいですか?」そのとき初めて、それが顔だと、彼は気づいたという。

著者サックスは、つぎのように記している。

「生まれながらに見える者なら、こんなとまどいは感じない。はじめから五感が補いあって働き、見えるものと概念と意味とが一体になった世界がかたちづくられているからだ。毎朝、目覚めて見るのは、生まれて以来、学びつづけてきた世界だ。その世界は与えられるのではない。間断のない経験と区分けと記憶と関連づけを通じて、自分でつくりあげてきた世界だ。だが、四十五年間盲人だったヴァージルが目を開いたとき、彼には子供時代に見た視覚的世界のかすかな記憶しかなく、それもとうに忘れられていた。……略……。神経学的にいえば、彼は失認症だった」

ヴァージルは、見ることを学ばなければならなかった。

その苦悩を、著者サックスは、こう記す。「新たに視力を獲得した者の場合、見ることを学ぶためには、神経機能の急激な変化が要求され、それとともに、心理的な機能、自己、アイデンティティの急激な変化が必要になる。この変化は、文字通り生きるか死ぬかの体験である」

「人格の再生[ルネッサンス]」――ヴァルヴォは、つぎのように書いたという。

「いったん視覚的パターンを獲得し、自然に見ることができるようになると、見ることを学ぶのが大きな喜びになっていくらしい……人格の再生[ルネッサンス]……患者たちはまったく新しい経験について考えはじめる」

エミーがヴァージルに望んだのは、人格の再生[ルネッサンス]だったという。その望みは叶ったのか。「運命のいたずら」が、待ち受けていた。

五つめは、「記憶の画家」の物語。「いつか、もういちどポンティトをつくってあげるよ。もういちど、母さんにポンティトをつくってあげる」

「記憶の画家」フランコ・マニャーニは、1934年にポンティトで生まれた。「フィレンツェから西に六十キロほど離れたピストイア地方カステルヴェッキオの丘陵地帯にある、人口五百人ばかりの小さな村である」

著者オリヴァー・サックスは、村の風景や暮らしを丁寧に描いていく。

「ひっそりと変わらない伝統的なポンティトは、時の流れと変化の潮流に抗して建つ城砦だった。滋味は豊かで、住民は働き者で、畑や果樹園はぜいたくではなくても不自由のない暮らしを保証してくれた。フランコにとっても、村人にとっても、生活は楽で安定していたが、それも戦争が勃発するまでのことだった」

「それからあらゆる恐怖や災厄がふりかかってきた。」著者サックスはこう記して、1942年にフランコの父が事故死したこと、その翌年ナチスが侵入して住民を追い出したこと、などを描いていき、それから、フランコが故郷を離れる決断をする過程を綴る。

その決断と同時に、フランコは奇妙な病気にかかった。重態に陥り、「来る夜も来る夜も異常に鮮明な夢を見続けた」。「彼は、毎晩ポンティトの夢を見た」

そして、「記憶の画家」が誕生するところを、著者サックスは描いていく。

「記憶の画家」フランコが描いたのは、父親が事故死する前のポンティトだった。

フランコの最初の絵は、生家の絵だった。できあがったとき、母親に送ったという。「ある意味で、彼はポンティトを再建してあげるという約束を果たしたのだ」

ドイツ軍の撤退後、もとの面影を失ったポンティトに戻ったフランコの母は、非常に取り乱した。そんな母に、父を失った10歳のフランコはこう言ったそうだ。「いつか、もういちどポンティトをつくってあげるよ。もういちど、母さんにポンティトをつくってあげる」

フランコは、「夜も昼もポンティトを夢見だした」

著者サックスは、「取り憑かれ」たようにポンティトを描く「記憶の画家」フランコの姿と、彼の「帰郷の衝撃」を綴っていく。

六つめは、非凡な才能をもつ自閉症の画家の物語。「彼のヴィジョンは、直接的で非観念的なすばらしい世界観を伝えているがゆえに貴重なのである」

1987年6月、著者オリヴァー・サックスのもとにイギリスの出版社から大量のデッサンが届いた。その絵の作者は、13歳の自閉症の少年スティーヴン・ウィルトシャーだった。「絵は非常に正確だがすこしも機械的ではなく、それどころか奔放なエネルギーと風変わりな生命力に満ちていた」

スティーヴンの絵は、著者サックスに、ホセという患者を思い出させた。

ホセも「非常に優れた目と絵画能力をもっていた」という。「ホセとスティーヴンの境遇はまるでちがうが、絵があまりによく似ているので、「自閉症」的知覚および芸術という独特のカテゴリーでもあるのかと思うほどだった」

だが、「ホセはスティーヴンに並ぶほど才能があったが、一度も認められず、支援者もなく、病院の奥に埋もれている」と著者サックスは記す。

一方、スティーヴンは、旅行し、絵を描きにでかけ、美術学校に通い、というように変化と刺激のある生活を送っているという。マーガレット・ヒューソン、クリス・マリス、その他のひとたちが、彼の才能を育むため、熱心に支援した。

この物語では、スティーヴンの姿をマーガレット・ヒューソンおよびクリス・マリスとの交流を通して描き出し、また、著者サックスとスティーヴンとのエピソードを綴り、そして、自閉症とその芸術を考察している。

著者サックスは、この物語をつぎのように結んだ。

「彼のヴィジョンは、直接的で非観念的なすばらしい世界観を伝えているがゆえに貴重なのである。スティーヴンには限界があり、変わった特異な人間で、自閉症かもしれない。だが、そのおかげで、彼は重要な世界の表現と探索というめったに成し得ないことができるのだ」

七つめ(最後)は、自閉症の博士の物語。「そういうとき、わたしは火星の人類学者のような気がします」

テンプル・グランディンは、「自閉症にもかかわらず、動物学で博士号を取り、コロラド州立大学で教え」、「自分で会社を設立し、また家畜用施設専門のコンサルタント兼設計士として世界を舞台に仕事をしている」。著者オリヴァー・サックスが会いに行ったとき、テンプルは40代半ばだった。

彼女はこんな話をしたという。「小さいころ、彼女は抱きしめてもらいたくてたまらなかったが、同時に、ひととの接触が怖かった。抱きしめられると、とくにそれが大好きだが大柄な伯母であったりすると、相手の感触に圧倒された。そんなとき、平和な喜びを感じるのだが、同時に飲みこまれるような恐怖もあった」。それで小さかった彼女(5歳になったばかり)は、「力強く、だが優しく抱きしめてくれて、しかも自分が完全にコントロールできる魔法の機械を夢見るようになった」

大人になった彼女のベッドの横には、「締め上げ機」があった。「抱っこ機」と呼ぶ人もいるという。

また、テンプルは、「「単純で力強く、普遍的な」感情なら理解できるが、複雑な感情やだましあいとなるとお手上げだという」。彼女はこう言った。「そういうとき、わたしは火星の人類学者のような気がします」と。

彼女は、「厖大な経験のライブラリー」を何年もかけてつくりあげてきたという。ビデオ・ライブラリーのようなもので、その「ビデオ」を心のなかで何度も何度も再生し、さまざまな状況で人がどう行動するかを見る。そして、見たものをだんだんに関連づけていく。それによって、似た状況における人の行動を予測する。この経験を、新聞や本などを読んで補う。「完全に論理的な作業です」

動物と一緒にいるテンプルは、穏やかな幸せそうな表情を浮かべていた。雌牛に草を食べさせながら、こう言った。「いま、とてもくつろいでいます。家畜と一緒にいるときは、理性的認識の必要がまったくありません。雌牛がなにを感じているか、わかるのです」と。しかし人間が相手だと、そうはならない。彼女は「火星の人類学者」のような気がしてしまうのだ。

夕日に関して、テンプルはこう言った。「あなたは夕日に感動している。わたしもそうできたらと思います。美しいのはわかりますが、心に『触れ』ないのです」。山や小川や花も同じらしい。

彼女は、宇宙の始まりや「わたしたちはなぜここにいるのだろう」といったことも考える。

著者サックスは、さまざまなエピソードを綴り、テンプル・グランディンの人物像を浮き彫りにする。

ひとこと

脳神経科医オリヴァー・サックスの傑作。神経科学的な記述は少なめで、人物描写に力が注がれている。その人物描写を通して、脳の適応力のすごさ、潜在力、不可思議さが浮き彫りにされている。

この本のNDC分類は「936」(英米文学/記録、手記、ルポルタージュ)。当サイトでは、「脳/医学」に入れた。

単行本(1997年に刊行された)を読んでこのレビューを書いたが、下記リンク先は文庫版

初投稿日:2017年09月15日

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