記憶をコントロールする ——分子脳科学の挑戦

書籍情報

【岩波科学ライブラリー】
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著 者:
井ノ口馨
出版社:
岩波書店
出版年:
2013年5月
定 価:
本体1,200円+税

「脳科学、記憶研究」へ「若い俊才たち」を招待する一冊

記憶は、陳述記憶と非陳述記憶に大別できる。この本では、「陳述記憶」について述べている。

陳述記憶とは「言葉によって他の人に伝えることができる記憶」のことで、この中枢は「海馬」という脳の部位にあることがわかっている。

海馬を損傷した患者の研究から、「海馬がないと新しいことを覚えられない」こと、「昔の記憶は影響を受けない」ことが明らかになった。「つまり、海馬は記憶の獲得と短期間の保持に関わっているものの、記憶の永久的な保持の場所ではない」。私たちヒトの場合では、記憶が海馬に蓄えられている期間は、半年から二年ぐらいと推定されているという。

人間の場合では、「半年より前かせいぜい二年以内の新しい記憶」は「最近の記憶(リーセントメモリー)」といい、二年以上前の記憶は「遠隔記憶(リモートメモリー)」というそうだ。

「最近の記憶」と「遠隔記憶」の違いは、時系列の違いだけでなく、思い出すのに海馬を必要とするか否かという違いもあるという。「最近の記憶」は海馬依存的であり、「遠隔記憶」は海馬非依存的とのこと。

では、「遠隔記憶」はどこに蓄えられているのか。「いくつかの傍証から、おそらく大脳皮質に蓄えられているのだろうと考えられて」いる。

つまり、「記憶は最初、海馬に蓄えられ、その後に大脳皮質に移される」。そして、記憶が海馬から大脳皮質に移っていく際に、その記憶は海馬から消去されるという。著者は、つぎのように考えた。

「……略……記憶は最初、海馬にありますが、時間が経つと海馬から消えて大脳皮質に移っていきます。その際に自然に海馬から消えるのではなく、海馬から積極的に記憶を消して大脳皮質に移す機構があるのではないかと考えたのです」

「海馬での記憶の消去」には、神経新生が関わっているという。

著者は、この話を「カハールのドグマ」から説き起こしている。

19世紀後半から20世紀初めにかけて活躍したスペインの解剖学者サンティアゴ・ラモン・イ・カハールは、「大人(動物であれば成獣)の脳ではニューロンは分裂しない」と主張したそうだ。

「カハールという偉大な学者が断言したこともあって、神経科学者はその後ずっと、大人の脳ではニューロンは分裂しないと固く信じ」、誰も疑わなかった。これを「カハールのドグマ」という。

1962年、アメリカの神経科学者ジョセフ・アルトマンは、「ラットの実験から、成獣の海馬でもニューロンが増えていることを報告」した。これが、「神経新生」の発見。しかし、この発見は30年間、注目を浴びなかったという。(1990年代になって認められた)

1998年には、「人間でも大人の脳でニューロンが分裂して増えていることが確認されて」いる。

このような研究の歴史を概観した後で、「海馬で新しく生まれたニューロンがどんな役割を果たしているのか」を、二つ述べる。

神経新生の役割の一つは「記憶の獲得」で、もう一つは、「海馬から記憶を積極的に消去する」ことだという。

「海馬から記憶を積極的に消去する」という神経新生の役割を仮説として提出したのが著者らだ。著者らは、ある実験結果からこの仮説を提出した。

先の記述が登場するのはここだ。

「……略……記憶は最初、海馬にありますが、時間が経つと海馬から消えて大脳皮質に移っていきます。その際に自然に海馬から消えるのではなく、海馬から積極的に記憶を消して大脳皮質に移す機構があるのではないかと考えたのです」

神経新生が「海馬での記憶の消去」に関わっている。著者は、この仮説を実証した著者らの実験を紹介していく。

ここから、なぜ上記のような神経新生の研究をするに至ったのかを語り、さらに、神経新生の医学への応用へと話を展開する。

医学への応用の一例として、「PTSDの予防」というアイデアを紹介している。著者は、つぎのように記している。

「神経新生が海馬での記憶の消去に関与しているということは、神経新生を適切に制御すれば、恐怖の記憶をコントロールできる可能性があるということです。そこで、ターゲットになったのがPTSD(心的外傷後ストレス障害)でした」

この文章に「記憶をコントロール」という言葉が出てきた。おそらく、書名はここからとったのだろう。

他にどんな話題があるのか

記憶は脳にどのように蓄えられるのか、という話題。ここでは、神経生理学者ドナルド・ヘッブが提唱した「セルアセンブリ仮説」を紹介し、この仮説がどのようにして実証されていったのかを論じている。セルアセンブリ仮説を実証したのは、利根川進の研究グループだった。

「記憶はどのようにして正確に保持されるのか」という章では、「シナプス特異性のナゾ」を述べ、シナプス特異性を説明する仮説を二つ紹介している。「シナプスタグ仮説」と「局所タンパク質合成という仮説」だ。

ウヴァ・フライが「シナプスタグ仮説」を提唱し、著者らのグループがこの仮説を実証した。「シナプスタグ仮説」とはどのようなものか、そして著者らはどのようにして「シナプスタグ仮説」を実証したのかを説明している。この説明の後で、「記憶の連合」について述べている。

ほかに、記憶の再固定化の話題もある。

本書のプロローグでは、「なぜ研究者になったか」を綴っている。ここでは、高校時代に哲学書を貪り読んだこと、『脳の可塑性と記憶』(塚原仲晃/著)との出合い、記憶研究の第一人者エリック・キャンデルの研究室に採用されたこと、など、たくさんのエピソードを披露している。著者の研究の出発点は、「人間とは何か、自分とは何者か」という問いかけだったそうだ。

そのような問いかけから研究者になった著者は、「エピローグ」で意識について語っている。

ひとこと

現代の脳科学は、物理学でいえばガリレオやニュートンが現れる直前の時代、そういう「エキサイティングな時代に入っている」という。だから、大学生や大学院生といった若い人たちを対象にした講演で、こう呼びかけているそうだ。「ぜひ脳科学、記憶研究に興味を持ってほしい。あなたが明日のガリレオ、ニュートンかもしれない」と。

本書においても、「若い俊才たちに呼びかけます」と最後に述べて、同様の言葉で結んでいる。このことから本書は、「若い俊才たち」への招待状的な一冊といえそうだ。でも、私のような普通の大人も楽しめる。

この本は、学生や一般向けの講演をまとめたもの。

初投稿日:2018年02月24日

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