色のない島へ ——脳神経科医のミクロネシア探訪記

書籍情報

【ハヤカワ文庫NF】
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著 者:
オリヴァー・サックス
監 訳:
大庭紀雄
訳 者:
春日井晶子
出版社:
早川書房
出版年:
2015年3月
定 価:
本体900円+税

「先天性全色盲」および「リティコ – ボディグ」をメインテーマとした、読ませる「ミクロネシア探訪記」

脳神経科医オリヴァー・サックスは、二度にわたってミクロネシアを旅した。それぞれの旅は「異なる目的」でなされたが、それを二部構成のかたちで一冊の本にまとめている。

その旅について「前書き」でつぎのように述べている。

「ミクロネシアへ旅したとき、私は脳神経科医そして神経人類学者として、地域の人々や社会が特異な風土病にどのように対応しているのかを調査しようと計画していた。その風土病とは、ピンゲラップ島とポーンペイ島においては遺伝的な全色盲であり、グアム島とロタ島では進行性かつ最終的には死にいたる神経疾患である。しかし実際にこれらの島々を訪れると、私の心はその生活、文化や歴史、植物や動物、そして他に類を見ない地質学的な成り立ちなどに釘付けになってしまった。」

ピンゲラップ島とポーンペイ島における「先天性全色盲」をとりあげているのが、第一部「色のない島へ」で、これが書名になっている。

ピンゲラップ島には「先天性全色盲」の人々が多数暮らしている。この情報を得た著者オリヴァー・サックスは、クヌート・ノルドビーと眼科医のロバート(ボブ)・ワッサーマンを誘ってピンゲラップ島へ旅立つ。

クヌート・ノルドビーは、「生理学者であると共に心理物理学者でもあり、オスロ大学で視覚について研究して」おり、「そして、本人が先天性全色盲であることもあり、この問題についての専門家だった。」

第一部は、クヌート・ノルドビーの人物像と、ピンゲラップ島とポーンペイ島における先天性全色盲の人々の暮らしを丹念に描き出し、その描写をとおして先天性全色盲がどのようなものかを読者に伝える。島の歴史や文化、自然描写も豊富で、医学的な記述が少ないため、この第一部はポピュラーサイエンスという感じではなく、副題のとおり「ミクロネシア探訪記」といった感じだ。読ませるエッセイだが、ここでは第二部のほうを紹介したい。

第二部「ソテツの島へ」は、「グアム島」「ロタ島」の二つの章からなる。それぞれ紹介したい。

グアム島

1993年の始めに、著者オリヴァー・サックスのもとに電話がかかってきた。それは、グアム島でリティコ – ボディグの患者を診察しているジョン・スティールからだった。

グアム島に住むチャモロ人がリティコ – ボディグと呼んだこの病気は、ある時は筋萎縮性側索硬化症に似た症状であり(「リティコ」)、またある時はパーキンソン病に似た症状(「ボディグ」)だったそうだ。ジョン・スティールには、「脳炎後遺症」の症状に類似しているように思われた。かつて著者オリヴァー・サックスは、脳炎後遺症の患者を多数診察していた。そこで、ジョン・スティールは、脳炎後遺症の患者とグアム島のリティコ – ボディグの患者を比較して「両者の相違点を探してほしい」と著者サックスに依頼した。こうして著者はグアム島へと旅立った。

ジョン・スティールは、研修医だったときに、同僚とともに「神経学における重要な発見」をした。それは、「進行性の核上麻痺で、今ではスティール – オルゼウスキー症候群と呼ばれている疾患」だった。

リティコ – ボディグ、脳炎後遺症、進行性核上麻痺は「病理組織学的には事実上同じに見え」、そして、「この三つの病気の顕微鏡所見は、アルツハイマー病の脳の神経細胞にある神経原線維のかたまりにもよく似ている」という。(アルツハイマー病と他の三つの病気の違いについても記されている)

チャモロ人は、ときどき、リティコ – ボディグを「チェットナット・フマタック」(ウマタックの病気)と呼ぶという。ウマタックが「病気の中心地」であり、ジョン・スティールはこの町に住んでいる。彼は、ここに、リティコ – ボディグ、アルツハイマー病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症などの秘密が隠されていると考えていた。「ウマタックこそは神経の変性をきたす難病のロゼッタストーンであり、すべての謎を解く鍵はここに埋もれているのだ、と。」

ジョン・スティールは、リティコ – ボディグに「ありったけの情熱を注いで」いた。それは彼のアイデンティティでもあったという。

本章では、ジョン・スティールの「情熱」が描き出され、リティコ – ボディグの研究の歴史が語られている。この研究史にはさまざまな研究者が登場し、そして病気の原因として、ソテツ説、鉱物説、遺伝説、ウイルス説が検討されていく。ここが、「探訪記」である本書の中で最もポピュラーサイエンス的なところだ。

もちろん、リティコ – ボディグの患者の症状やその家族の対応についても丁寧に描かれている。たとえば、トマサという患者とその家族について、つぎのように記している。

「トマサの枕元にはいつも家族や友人、近所の人たちが誰かしらやって来て、新聞を読んで聞かせたり、ニュースを伝えたり、うわさ話をしている。クリスマスには、彼女のベッドの傍らにクリスマスツリーが飾られる。地元の祭りやピクニックのときには、人々は彼女の部屋に集まる。トマサ自身はわずかしか動いたり話したりできないが、周囲の人々は彼女の人格を尊重しているし、彼らにとって彼女は家族やコミュニティの一員なのだ。彼女は自分の家で家族やコミュニティの懐に抱かれ、もう遠くはないであろう最期の日まで、完全な意識を保ち、誇りと人格を失わずに生きていくに違いない」。ここで著者サックスは、ニューヨークにいる筋萎縮性側索硬化症が進行した患者との違いに思いを巡らせている。

シュノーケリングの話など「探訪記」的な側面もあり、また、グアムの歴史も語られている。

ロタ島

著者オリヴァー・サックスは、子供の頃、古代の植物に魅せられた。マリー・ストープスの『古代の植物』を読んだときに、「古代の植物と私たちとの間に横たわる何百万、何千万年といった深遠な時の流れに思いを馳せた」という。そして、本の中の「最も原始的な植物、つまりイチョウ、ソテツ、シダ、ヒカゲノカズラ、トクサなどを何時間も眺めた」。また、子供の頃の著者は、叔母と一緒に自然史博物館やキュー王立植物園に出かけた。キュー王立植物園で、著者は初めて生きたソテツを見た。

ソテツについて、つぎのように記している。

「ソテツもまた遠い過去から生き抜いてきた植物で、その古さはあらゆるところに刻まれている。巨大な球果や鋭いとげをもつ葉に加え、円柱のようにどっしりとした幹は葉が枯れた後も残る葉の基部で覆われて、まるで中世の鎧のようだ。木生シダが優雅だとすれば、ソテツは偉大であると共に、幼い私の心はそれに哲学的な広がりまでを見た。……略……」。子供の頃の著者には、「悲劇的な、そして英雄的な植物」だったという。

ロタ島を訪れた著者は、ロタの「女まじない師〔メディシン・ウーマン〕」であるベアータ・メンディオーラと息子のトミーに案内されて、ソテツの森をさまよい歩く。ソテツについて語る著者は、読者を何億年も昔へと誘う。

「深遠な時の感覚は、それと共に日常生活の時間や忙しさからかけ離れた深い平和をもたらしてくれる。……略……」

(引用の際に、漢数字の一部をアラビア数字に直した)

ひとこと

この本のNDC分類は「936」(英米文学 記録. 手記. ルポルタージュ)だが、ジャンルは「脳・医学」に入れた。

単行本を読んでこの書籍紹介文を書いているが、リンク先は「文庫版」

初投稿日:2019年07月05日

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