ダマシオ教授の教養としての「意識」
著 者:
アントニオ・ダマシオ
出版社:
ダイヤモンド社
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情動と理性のディープ・ヒストリー
著 者:
ジョセフ・ルドゥー
出版社:
化学同人
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皮膚感覚と人間のこころ
著 者:
傳田光洋
出版社:
新潮社
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あなたの知らない脳
著 者:
デイヴィッド・イーグルマン
出版社:
早川書房
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エピジェネティクス
著 者:
仲野徹
出版社:
岩波書店
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ミラーニューロン
著 者:
ジャコモ・リゾラッティ/コラド・シニガリア
出版社:
紀伊國屋書店
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インターネット上のコミュニケーションと節足動物。『皮膚はすごい』(傳田光洋)のちょっとした感想

『皮膚はすごい』(傳田光洋)の書評を更新してから1週間くらい経ちますが、ときどき脳裏に浮かび上がってくる話題があります。書評ページでは触れなかったので、ここにちょっと追記しておこうと思います。

本書の最後に、インターネットのような情報技術についての見解が示されています。著者は、その利便性について述べて、「肯定」します。肯定したうえで、つぎのように記しています。

「しかし、現在の技術でコミュニケーションをとれるのは視聴覚情報だけなので、それだけですべてを判断する危険性もあるでしょう。それではまるでアリやハチのような節足動物です。……」

この箇所だけだとわかりにくいと思いますので、節足動物の「皮膚」にまつわる説明のところも引用します。

「節足動物は、皮膚感覚を捨てた代わりに、外の情報を得るために五億年以上前から、今の昆虫のような複眼を持っていますし、あるいは皮膚の「触覚」の代わりに「触角」を持っていて、それで外の情報を得ています。」

つまり、最初の引用箇所は、視聴覚情報だけで判断する危険性、すなわち皮膚感覚なしに判断する危険性を、「皮膚感覚を捨てた」節足動物に喩えているのだと思います。

インターネット上は、身体同士が直接対面しないコミュニケーションです。私たちは、そこにリアルの場との大きな違いがあることを知ってはいますが、しかし普段、明確に意識しているかというと、そうでもないような気がします。

そこで、「皮膚感覚を捨てた」節足動物の喩えです。インターネット上のコミュニケーションでは皮膚感覚による判断ができない、それではまるでアリやハチのような節足動物ではないか、と。こんな冗談めいたイメージをもってみると、〝インターネット空間におけるコミュニケーションは、人間にとってかなり特殊な状況で行っているもの〟ということを思い出しやすいかもしれません。

節足動物の喩えはユニークで、読み終えた直後に思っていたよりも強く印象に残ったようです。ちょっと長いので、書評ページの感想のところではなく、ここに追記してみました。

『皮膚はすごい』では、さまざまな動物・植物の「皮膚」を見ていき、皮膚と脳の観点から人間を考察しています。

初投稿日:2025年04月26日

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